セラピス神肖像
年代 | : | ローマ帝国期 2世紀 |
材質 | : | 玄武岩 |
大きさ | : | H. 16.5 cm; W. 10.0 cm; L. 7.5 cm |
アレクサンダー大王の軍隊の将軍プトレマイオスは、紀元前 305 年に、自らをエジプトのファラオであると宣言した。よって彼は、プトレマイオス朝マケドニアギリシャ王朝を創始し、彼の功績に因み歴代の王は、プトレマイオス王と呼ばれた。そして、その最後の継承者が偉大なるクレオパトラである。ソーテール王として知られるこの統治者プトレマイオス1世は、ギリシャ人の側近と現地エジプト人との間に共通の宗教的基盤を確立するため、セラピスという新たなる神への崇拝を導入した。
セラピス神は、エジプトの伝統的な冥界の神オシリスとギリシャの冥界の神ハデスを組み合わせたものである。セラピス神は、頭全体を覆う髪と豊かな口髭と顎鬚の、立派な成熟した男性の神として描かれた。セラピス神のシンボルは、カラトスと呼ばれる小麦を計量する籠で、籠の前面にはしばしば蔓のパターン模様が描かれている。また、籠は、農業の神でもあるオシリス神を暗示している。セラピス神信仰はエジプト人の間ではあまり広まることはなかった。しかしローマ帝国の他の地域ではその信仰が受け入れられ、カラカラ皇帝など多くのローマ皇帝は、セラピス神を自分の守り神とみなした。